“白いハンカチ”
 バードウォッチングなどという洒落たことではないのだけれど、公園のベンチで野鳥を観察するのが日課だった時期がある。真夏の太陽が陰る頃、年配の人と交わす会話の中身があの戦争の事だったりするのは仕方がない。近頃では、あの頃の話を頭から理解できない者が多数派だ。
 1953年生まれ…という事は、かろうじてオキュパイド・ジャパンから免れた事になる。早生まれだから、学校のクラスでは大半が占領下生まれだった。朝鮮戦争は、多分幼少年期の生活に若干の間接的影響を与えただろう。最も多感な時期にベトナムで戦争があり、これは世界で最初に実況中継された戦争だった。戦争を知らない子供達…どころか、戦争をメディアに見せられた最初の子供達だった。最近の湾岸危機のようなTVゲーム的映像ではなく、虐殺シーンを生で見ることになった最初の世代だ。
 最近では目立たなくなったが、つい数年前まではお盆の頃になると『終戦特集』と称して、各メディアが揃って戦争をテーマにした記事や番組を流した。その年毎の流行があって、ひめゆり部隊の年、原爆の年、といった具合に同じテーマの記事・番組が重なる。ある年は、特攻隊の年だったが、このテーマは数年置きに繰り返される。前記ふたつのテーマと同様、この国に特有のテーマと言っていいだろう。
 ヒコーキ好きとしては、(不謹慎な話だが)画面・紙(誌)面に航空機の姿があればそれだけで嬉しくなる。それでも特攻について、何も知らないワケではない。真偽の程は知らないが、特攻隊の生き残りと称する人物と何人かは知りあい、話も聞いた。ただし、聞いて分った等と言うつもりはない。残念ながらそこまで追い詰められた経験など無いから、分ろうとするのは無理だと思った。そんな覚めた意識で見ていたから、特攻を扱った記事や番組にいまひとつ感情移入できない自分が納得出来なかった。戦争を全く知らない(教えられていない)世代ならともかく、我々の年齢なら、彼らの気持ちの一部は僅かでも共有できる筈だと思っていた。
 特攻と言う考え方は旧軍の中に元から在ったらしいが、制度として確立したのは大西瀧次郎という人だと聞いている。真珠湾では、敵弾を受け帰還不可能と判断した機長の判断で、それに近い行動を取った機もあったようだ。華々しい航空機と違い、静かに水中から忍び込んだ特殊潜航艇は元々帰還する為の機能は持っていなかったらしく、これは既に特攻そのものだった。元海軍々人によると、潜航艇乗りは必ず日本刀を持たされたが、その理由は自決用だったと言う。一瞬で片の付く航空機と違い、作戦に失敗した潜航艇では、死までの時間は余りに残酷だ。こういう事を考え付くのは、日本人の他には恐らくあまりいないのではないかと思うが、最近ではイスラム過激派の似たような行動が目立つ。
 例えば米軍の資料によると、一人前の(一応使い物になる)パイロットの養成には、約2年間と2億円掛かる。十数年前の資料だから、金額は現在のレートでははるかに増えている筈だ。しかも、然るべき資質の持ち主を選別する手間暇は別なのだ。60数年前のレシプロ時代でそれだから、現代のパイロット養成には膨大な時間と費用が掛かる。だから現代の戦争では、いかにパイロット(だけではない!現代の戦闘要員はすべて高度な専門家だ)を無事帰還させるかが、非常に重要な課題になっている。
 そんな大切なパイロットを、鉄砲玉同様に使い捨てにしたのだから、当時の軍参謀達の無能さは論外だったと言える。物量や予算の心配とは無縁(?)だった米軍でさえ、パイロットは“貴重品”だったのだ。物も金も無かったから、と言うのは理由にならない。あるもので如何に有効に戦うか?が本来の思考経路でなくては困る。人数だけは揃っているから、弾丸代わりに使いました…では、まっとうな軍人の思考とはお世辞にも言えまい(まっとうな事を言い難い時代、だったのも事実だろうが)。
 ある年、特攻隊を扱った番組を見ていて、不意に涙がこみ上げてきた。若い搭乗員の乗った機体を見送る整備員の白いハンカチを見ていたら、堪らなくなってしまったのだ。そうだ、飛び立って行った者と、見送らざるを得なかった者がいたのだ。その辛さは、あるいは後者の方が深かったのではなかったか?
 機械いじりに情熱を傾ける者の一人として、整備員たちの悲しみが胸をつらぬいた。無事に生きて帰ってほしいから、彼らは全身全霊を傾けて仕事をする。ましてや多くの場合、乗って行くのは弟や息子のような若者たちだ。帰ってこない機体を喜んで整備する整備員は、いない。                                   (stupidcat)
【蛇の足】
 『特攻』を美化したい世代の気持は,分らないではない.しかし,止めておいた方が子孫のためだと思う.爆弾を抱いてテロに走るイスラム教徒は,そのまま九段の桜に直結してしまう.事実を冷徹に掘り起こし,正確に伝えてくださることを,体験者の皆様にお願いしたいと思う.
【蛇の手…また,ヒコーキが殺戮の道具にされてしまった!】oct.2001
 【蛇の足】の原稿を書いたのは,『米国同時多発テロ事件』が勃発した半年ぐらい前だったろうか.筆者の悪い予感は的中率が高いのだが,こんなカタチで当たるとは想像もしていなかった.夏に「特攻」を賛美していた某首相が,口角泡を飛ばしてテロリストを非難している姿,の滑稽さはここでは無視しよう.所詮その程度の人物だったことは,最初から分っていたのだから.
 それにしても,事件に直面した米国人が「パール・ハーバー」を持ち出したのには,些かムッとした人も多いのではなかろうか?今回の事件は,無辜の民を平然と戦争の巻き添えにしてしまったという意味では「ヒロシマ・ナガサキ」の方によほど似ている.航空機を戦争の道具にした人類を呪いながら死んでいった“ウィルバーとオーヴィル”の無念さを,今回の事件で多くのヒコーキ好きが味わったに違いない.その意味でも許しがたいテロリストたちだが,彼らに“懲罰”を下すのもまた…ヒコーキだ.



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