「お見事!」
 正直の処,“運転が上手い”と思った事は一度もない.
 運転免許を取ったのも,自分のクルマを持ったのも
(現代の常識からすれば)かなり遅かった.幸か不幸か,その直後からクルマ関係の仕事に就くハメになってしまった.「不幸」の方はさておき,「幸」だったのは,運転の物凄く上手い人が身近にいくらでも居たことだった.
 免許を取るのが遅かったのは,貧乏だったからだ.十代の後半を不登校と失業状態で過ごしてしまったし,当時はいつの日かクルマを持てるなんて考えていなかった.就職に不可欠だと親を騙し,免許を取ったのが23歳.クルマを手に入れたのが26歳頃だったが,既にクルマ関係の仕事を始めていたのだから,いささか無謀だったとは思う.
 そんなわけで,TVや映画では見たことはあったが,タイアを滑らせる走り方を実際に体験したのは最初の試乗会だった.試乗会といっても街のディーラ−で休日にやるアレではなく,報道関係者を集めて箱根等の山坂道で行なわれるプレス試乗会だ.先輩,というより既に先生と呼ばれる熟達の編集者に,速く走るというのがどういうコトかを実感させられた.もちろん,先生のドライヴで…だが.
 プレス関係者というのは,アタマのネジが2〜3本外れた輩が多い.例えば,クラウンとかセドリックといった高級車に乗っても,廉価な大衆車に乗っても,タイアを鳴かせつつ道路から飛び出すギリギリの速度で曲がりたがる.もちろんそのクルマの限界を把握するには,ある程度の無理をする必要はある.ただし,普通のドライバーならとっくの昔に目をつぶり,力いっぱいブレーキを踏んでいるだろう状態を試してみたってあまり意味は無いだろう,と当時から思っていた
(この考えは今も変わらない)
 仕事で走っていたころは,当方のアタマのネジも緩んでいたから,多少は馬鹿な真似もした.各社の高級車を4〜5台借り出して,2輪の飛ばし屋が集まる事で有名な山坂道を使って撮影していた時の事だ.幸いライダー諸君が出没する時間帯ではなかったので,あまり危ない思いはせずに済んだ.ところが,移動中に「間の悪い奴」が一台現れた.典型的なバイク小僧で,ハングオンとかいう「お尻をコーナー内側に落としこむ」レーサー気取りの走り方なのだが,困ったことにコレがむやみに遅い.こちらはクラウン(の3g)なので,小僧にしてみればアッという間に置き去りにできると思ったのだろうが,あいにく乗っているのが雑誌屋だった.自分の走りに酔いしれている小僧に,ピッタリ貼り付いてアオるぐらいは朝飯前…なぁんて事は,当然ご存知ない.
 しばらく走った後,小僧クンは振り向いてしきりに首をかしげていた.また少し走っては,首をひねっている.数分後,ついに諦めたらしく,路肩にマシンを寄せ道を譲ってくれた.後で考えれば気の毒なことをしたもので,小僧クンとしてはかなり落ちこんだのではないかと反省した(少なくとも,仲間には話せなかっただろうなぁ〜)
 雑誌屋の中では,間違いなくオレが一番遅くて下手だ!と自覚していたから,あまり無理はしたことはない.「無事これ名馬」だ.白状すると,雑誌屋になって間もなくメーカーから借りた新車を一台パアにしていたから,慎重派に徹していたのだ.馬鹿な真似を繰り返すと,次の仕事が無くなるのが自由業というものだ.とはいえ,クラウンでバイク小僧をアオルぐらいのことはできたのだから,人並み(一般市民の意)以下というワケでもなかった.
 ところで,箱根・筑波の山坂道に数カ所『○○君コーナー』と命名されたカーブが点在することは,仲間うちでは周知の事実だった.ついついその気になって無理をした若い衆が,語り草になるような事故を起した現場に本人の名前が付けられる.たいていは,むやみに上手くて速い雑誌屋に同道するバイト君あたりが名前を残した.「若気の何とか…」で,舞い上がってしまう機会が多かったのだろう.
 N出版社のMという編集者は,下手なアマチュア・レーサーよりも速いことで知られていた.彼と同道する若手はくれぐれも自重すべきだったのだが,現実には“飛んで”しまったヤツが何人かいた.最も有名だったのは,箱根・芦ノ湖スカイラインの下りコーナーで飛び出したO君だ.岩の間をすり抜け,谷底めがけてダイブしかけた所で樹木にひっかかり,かろうじて止まった.クレーン車で試乗車の回収に来たメーカー側担当者が,現場を見て「奇跡だ!」と叫んだそうだ.どちらか左右に30cm外れていたら,“激突”か“まっさかさま”だったらしい.原因は,自分も同じ速度で走れる…とO君が無邪気に信じたからで,それほどMの走りは自然でスムーズだったのだ.
 Mとは,一緒に仕事をする機会が多かった.アチラは名人,コチラは凡人だと認識していたから,危うい経験はなかった.鈴鹿サーキットで2ラップだけ同乗してくれ,コーナリングのポイントを的確に教えてくれたのもMだった.おかげで始めてのコースでも戸惑わずにすんだし,タイムもビリではなかった(と思う…ブービー賞ぐらいか?).速い人と同乗するチャンスは結構あったが,速くて上手い人は稀だった(本職のレーサーは別で,彼らは速く・上手く・しかも強い)
 ある夜,Mと若いカメラマンの3人で富士山中腹の駐車場に出かけた.ライト関係の用品テストをするため,完全に真っ暗な環境が必要だったのだ.仕事は順調に片付き,ふもとで夜食でも食べようということになった.当然,曲がりくねった坂道を下ることになる.Mは1000ccのディーゼル車に腰高のスノータイヤ,こちらは1600ccのスポーティ車に超扁平の高性能タイヤだから,普通に走っていれば遅れをとる心配は無い筈だった.
 カメラマンを隣に乗せ,ごく軽快なペースで下って行った.いくつか目のコーナーを抜けた次の瞬間,前を行くMのクルマが急に腹(車体下面)を見せて曲がりこんだと思ったら,目の前に何も無くなった.あっ!とっさにカウンターステアを切っていた.…なぜ自分にあんなコトができたのか?未だに不思議なのだが,次の瞬間に来た揺り戻しにすかさず反対にあて,またしても揺り返しが来て…都合4〜5回激しい蛇行を繰り返し,何とか本来のコースに戻って姿勢が収まった.とたんに,どっと汗が噴出した.その辺には,ガードレールの類は一切なかった.
 フ−ッ!と息を吐いたら,カメラマンが澄ました顔で一言.
お見事!
 ……以来,Mの後ろを走る時は「自制心,自制心」と呪文を唱えることに決めた.オマジナイが効いたかどうかは不明だが,現在に至るまで「コーナーの名称になる栄誉」には浴していない…(「無事これ名馬」です).  (stupidcat)
【蛇の足】
 “コーナリングの極意”なんてものがあるのか無いのかは知らないが,天性の才能を持った人がいるのは確かだ.半面そういう才能の欠如したヤツもいる.かくいう筆者などはその代表だ!と自信を持って言いきれる(イバっても仕方がないが…).言い訳めくが,そういう才能と「書き・伝える」才能とは別なのも事実だ.同業者の中でドライヴィング・テクニックが最低だったことは素直に認めるが,一番マズイ原稿を書いていたヤツは別に居たと思っている.まあ,ここでもブービー賞の常連だったかもしれない.
 ともあれ,富士山からの下りで“飛び出す”寸前だった時に同乗していたカメラマン君の態度には,今考えても感服せざるをえない.一緒に仕事をしたカメラマンは大勢いたし,それなりにコチラの腕を信頼してくれたことには感謝している.しかし,彼ほど悠然と構えていてくれたヤツはいなかった.運転があまりにも下手糞で,どれくらい危ないかが理解できていなかったのかもしれない…とも考えられる.「無事これ名馬」…最終的には結果がモノと言う,ということにしておこう.



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