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今時の若い衆なら大抵は使っているウォークマン(厳密には登録商標の筈だから,他社のモドキ物は何と呼ぶのだろう?)だが,実を言うと自分でも使っていた事がある.仕事で“リアルタイム・レポート”を録音したいと思って買ったのだが,結局は催眠落語専用になってしまった.古典落語を聞きながらだと,安心して寝入る事が出来た. |
通勤とは,あまり縁のない生活をしてきたのだが,混んだ電車の中でアレをカチャカチャ鳴らされると,堪らないだろうと思う.件の公園でも,使っている奴がたまに居るが,場所柄それほど気にはならない.ただ困るのは,ラジカセの類を鳴らす輩で,これには迷わず苦情を言うことにしている.特に若い衆の場合,自分のやっている事がはた迷惑だということ自体を理解していない場合が多い.言ってやらないと,分からないのだ. |
もっと困ったのが,一時期公園に居着いてしまったホームレスのオヤジだ.何処で電池を都合するのか不思議なのだが,何時もラジオを鳴らしている.長年の自由生活で少々キ(印がかっ)ているから,文句を言っても効果なし.それも気の利いた音楽なら我慢してやるのだが,何時だって民放の(ハッキリ言って)くだらない上に喧しい番組専門だから,余計に腹立たしいのだ(ありがたい事に,その後オヤジはショバを変えた). 子供の歓声や犬の鳴き声…の合間に,鳥のさえずりを聞き分けるのが公園探鳥の楽しみだから,阿呆な騒音は勘弁してほしいと思う. |
例えば観光地や海辺で,演歌なぞが流れているとガッカリしてしまう.特に景勝の地だと,腹が立つ.ウォークマンの普及も一因なのだろう.音楽が生活に溶け込んでいるのは悪い事では無いが,スポーツの練習場等も含めて複数の人間が過ごす場所では,無用かつ失礼ではないだろうか?歳のせいもあって,今風の音楽がだんだん苦手になっているから,盛大に音が渦巻いている場所に居ると頭が痛くなる.まあ今時アナログ・レコードで,ン十年前の音ばかり聴いているから,こんなふうになってしまったのだろう. 精神的にマイっている時,音楽が救いになるのは事実だ.数年前に独り暮しを始めた当座は,アタマの中で常時“ヴァルキューレ”が鳴り響いていた.暫くしたら“タンホイザー”に替わったから,やれやれと思っていたのだが,さらにそれが“レクイエム”になってしまった時には,少々困った. |
冗談はさておき,例えばある絶界の孤星に取り残され,何かの手違いで救援隊が来るまでには確実に死んでしまうという状況に追い込まれたら,貴方はどんな音楽に救いを求めるだらうか?(宇宙に出て行く船では,その手のソフトには事欠かない筈…というのが前提だが) そんな状況を描いた,A.C.クラークの短編がある.不幸にして題名や詳しい内容を覚えてはいないのだが,主人公の心の葛藤は胸を打つ.結局彼が選択したのは,ある古典的な作曲家の作品だった.物語は,主人公がその星に見慣れない「何か」を発見し,人生の最後の仕事として探索に出掛けるシーンで終わっている.出掛けるに際して,彼は宇宙服(だったか探索車?だったか…)の中を音楽で満たす.そしで呟くのだ… 『さあ出掛けようか,ヨハン・セバスチャン!』 |
随分とSFは読んだが,これほど感動的なラストシーンを他には知らない.一人の男が人生の最後に,人類の為の置き土産に,未知の何かの正体を確かめに行こうとしている.その時,パートナーとして選んだのが,J.S.Bachだったというのは,何とも暗示的だと思う.クラークという人の個人的な好み,と言うには説得力がありすぎる. |
最近2度目の引越しをした.幸いワーグナーもモーツァルトも鳴り響かず,もっぱら黴の生えたアナログレコードでバッハばかり聴いている.特に,チェンバロやハープシコード(同じ物だという話だが)の音色に,流行の“癒し”効果を感じる.これを他人に説明するのは難しい. 今時,そんな演奏のCDはマニアしか持っていないし,レコードを貸そうにもプレーヤーを持っている人は殆どいない.やっぱり,昔誰かに言われた通り「お前は,現代に生きていない」という事なのだろうか? GoodGrief… (stupidcat) |
【蛇の足】 |
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