何かを“飛ばす楽しみ”を忘れて
 いませんか?…そんなアナタに贈る,
 我が“ヒコーキ事始”です.








〔飛燕で始まったこと〕

 バードウォッチングなどという酒落たことではないのだけれど,公園のベンチで野鳥を観察するのが日課だった時期がある.
 夏の風物詩である燕は,主に池の上を超低空飛行で行き交い,多分水面の昆虫を捕らえているのだろう.夏は,彼らにとって子育ての季節だ.餌はいくら捕っても足りないのだろう.

(←燕の写真は素人には難しいので,撮りやすい雀クンです)

 三式戦闘機を“飛燕”と名付けたのは誰だろう?形態からすれば的を得た命名だとは思うが,むしろ“隼”の方が似つかわしい気もする.一式戦の方は,“鳶”が適当ではなかったか?と思う.その前身の97式戦は,佐貫亦男先生によれば“雲雀”が似つかわしいのだそうだ.
 “飛燕”は,大昔の少年雑誌にも度々登場した.高速と格闘戦を両立させた名機,というのがうたい文句だった.ただし,生産現場で液冷式エンジン(ドイツ,ダイムラーベンツのライセンス生産から日本流に改造した)の不調に困り果てたあげく,手馴れた空冷式エンジンに救われた(五式戦)…などという話は,少年雑誌には書かれていなかった.

↑キ61三式戦闘機“飛燕”(戦後の撮影と思われる)
 クランクシャフト(V型12気筒だから6スローだろう)の製造には特に苦労したようで,加工精度が全く追い付かなかったらしい.当時ドイツに居た前記佐貫先生によれば,ベンツの下請け会社では,いとも単簡に量産していたそうだ.基礎的な工業力で,日本は後進国だった.製造に携わっていた人達からは,少数なら造れるが量産は無理…という声が出ていたと言う(名人芸に頼る体質では,戦争に勝てない)

↑“FrontroomFlyable”のCamel
 大昔,「ラジコン技術」誌に若干の間を置いて,飛燕の記事が続けて載った.1,5ccのシングル機と,10ccのマルチ機だった(注@A).両記事に共通していたのは,胴体の太さに驚かされたという話だったのを今でも覚えている.飛行機でも車でも,実物を忠実に縮小すると,案外「らしく」見えないものだ,とプロの模型設計者から聞いたことがある.
 ともあれ,当時(も現在同様)貧しかったから,RCにはなかなか手が届きそうもなく,もっぱら雑誌を読むだけで我慢しなければならなかった.
 そんな中で,マルチ機の記事を利用して手の届くレベルのヒコーキを作り上げた思い出がある.
 その頃,何時かは何とかなるかも…と希望的な見通しで,シングルRC機の材料を集めていた.その中から,プランク用のバルサで作ったのが,スパン約25cm程のプロフィール機“飛燕”だった.もちろん動力無しのグライダーで,発航はもっぱら腕によったから,後で考えれば立派なHandLaunchGliderだった.少々後知恵的ではあるが,人生初の“自作HLGとの遭遇”になった.
 コピー機の無かった時代,誌面に印刷された図面からどうやってバルサ材にカタチを写し取ったか?方法は原始的だった.ページの下にバルサを置いて,虫ピンで要所々々をブツブツと突き刺した.雑誌に穴を空ける事には,当然抵抗があったが仕方ない.胴体,左右の主尾翼と主脚を切り出し,パーツは全部で5点.2機分を切り,それぞれにボールペンで風防や操舵面,と日の丸を描き込めば,後は組立てるだけだ.
 今なら「瞬間接着剤」という強力な味方があるのだが,当時は最も強力だった(と信じていた)のは「セメダインC」で,2度附けという高等テクニックなど知る筈もない.幸い虫ピンのお世話になる方法だけは知っていたから,「じっと我慢の子」を決め込むしかなかった.ずっと後で考えると,御飯粒を充分練り込んだ物を使う手もあったのだが,そんな方法は知らなかった.

↑“FrontroomFlyable”のP51Mustang/文末参照
 出来あがった“飛燕HLG”は,貧しい少年には立派な飛燕に見えた.幼児の描く人物には顔と手足だけという例が多いのだが,プロフィール機には,そんなニュアンスがある.見る側の想像力に依存しているのだが,それさえ満たされれば紛れも無くスケール機だ.
 主・尾翼は平板だったが,取り付け角差をどう決めたのか?…今となっては確かな記憶は無い.多分「重心位置は25〜30%」という
(当時の模型飛行機の)常識に従った筈だから,恐らくかなり大きめの迎角を与えていたのだろう.ノーズに虫ピンを数本指し込む事で,重心を決めた.釣り用の板鉛等知らなかったし,虫ピンはバルサに埋め込めるから見栄えが良い.塗装はボールペンで要所に線を引く以外,必要を感じなかった.

 当然ながらこのセッティングで投げると,機体は宙返りに入ってしまう.しかし,HLGの滞空競技なんて丸っきり知らない子供には,それでも良かった.上手く投げる?と,2度宙返りをした上で滑空に入る.ピッチングと重心位置の関係ぐらいは知っていたらしい.虫ピンでの微調整は便利だった.最初にトラブルが発生したのは脚で,セメダインCの点付けでは飛ばす度に取れたので,すぐに見切りを付けた.脚を出したまま飛ぶ実機は無い,と自分を慰めた.
 阿呆な奴!と言われそうだが,水平尾翼が片方取れただけで丸で飛ばない事も,この時知った.大型RC機の図面そのままだったから,テールボリュームが不足していたのは確かだったろうが,そんな事を教えてくれる人も本も無かった.

 しかし,モノスゴク楽しかったのは確かだ.それまで,折り紙ヒコーキや経木製玩具ヒコーキ(注B)しか知らなかった身(CLはちょっとだけ経験)としては,初めてのHLG体験は新鮮だった.本格的なFF競技の事は微かに知ってはいたが,残念ながらHLGについては情報が皆無だった.




  ↓“cardbord”…つまりボール紙で作る簡易HLG
  コレも“FrontroomFlyable”のFreePlan(文末参照)
  HPには,この機体の図面や調整法も載っている


↑本格的なHLGの競技会風景(Information参照)
毎月10〜20人が集まり,熾烈で楽しい競技会が行な
われている(冬季は写真のようにタンボを拝借する)
 ある日偶然,本物に出遭うまでには,5年以上の歳月が必要だった.真っ直ぐ上昇し,見事に滑空に移る本物に出遭い「スゴイ!!」と直感出来たのは,あるいは“飛燕”の経験があったからかも知れない.雑誌記事と,出遭いの偶然に感謝しなくてはなるまい.
                              (stupidcat)

【後日談】
 偶然見付けたカナダのHPに,原点的HLG?を見付けた.
 “Frontoroom Flyables”という頁で,どうやら「子供と一緒に遊びませんか?」がコンセプトらしく,シンプルこの上ないHLGキット?が3〜4j(US),最も高価な複葉羽ばたき機でも15jと非常に安価なのが特徴だ.上の本文中に,何点か写真で紹介させていただいた.
 Frontoroomは,アチラの家に大抵ある玄関の間.我々の住宅事情ではちょっと考えにくいが,まあ応接間の広さで楽しめる簡便なプロフィール機ということか.昔の経木製簡易HLGに近い感覚で楽しめるのではなかろうか?
(“FrontroomFlybles”のHPはこちらです)
【本文注】
@シングル式⇒1コのボタンの打ち方(モールス信号に似ている)で,エンジンとラダ−(又はエルロン)を操作するRCの方式/Aマルチ式⇒オン‐オフ‐オン式スナップスイッチでエンジンと各舵を操作する方式.フルハウスだとスイッチは4コになる.これを8チャンネルと称する.競技には10〜12chが使われた/B経木製HLG⇒経木(きょうぎ・昔は菓子折りなどに使われた天然素材)で作られた,30年前の定番玩具.けっこう飛んだ!
●本文を読んでHandLaunchGlderに興味を持たれた方は,ぜひこちらのHPをご覧ください!!
●HLGをはじめ,各種FF(フリーフライト模型飛行機)の情報が満載です.
●「???」は“掲示板”に投稿すれば,ビギナーにも適切・親切なアドバイスが受けられます.



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