“gourmet U”
 イクイナ・アキコさんという女優さんがいる.もとは可愛いだけの少女だったが,最近では教育TVの教養番組で司会進行屋役もこなしているし,役者としても地道に活躍をしているから,まあ本物と言ってもいいと思う.
 そんな彼女が何かの番組で『口に入れたら最後,飲み込めないし,出すわけにもいかないし…』と,笑いながら告白していたのは,地方に特有の名物料理のことだ.それも一般的な名物ではなく,地元民だけが食べている庶民食の話で,彼女が昼休みに放送される紀行番組のレギュラーだった頃,苦労した思い出を語っていたのだった.
 山や川,海で暮らす人たちには,そこでしか食べられない独特の食べ物・食べ方があって,余所者には興味津津だ.番組の中でそれを試食するのが彼女の役目だったのだが,名物食材・料理が必ずしも普通の人にとって美味とは限らない.故に前記の告白になったのだが,他局の番組とはいえそういうことをサラリと白状しても,見る者に厭な印象を与えないのはエライと思う.俗な食通では,そうはいかない.

 Poohは蜂蜜が大好物.だか
 らいつも蜂に追われてばかり…
 古典落語の「茶の湯」で,インチキなお茶の席で出された不味いお菓子を口に入れてしまった客が,呑みこめず吐き出せず,えらい苦しみを味わうシーンがある.それを思い出させる彼女の言葉に,つい笑ってしまった.長い間生きていれば,誰にも似たような経験が二度や三度はあると思う.自分で作ったり,お金を出している時は,気に入らなければ食べなければいいのだが,ご馳走になる場合はそうもいかない.ましてや相手が目上の人の場合は,かなり苦しい思いをすることもある.前記のイクイナさんは,地域の人が生放送の為にわざわざ用意してくれたものをいただく立場だったから,どんなものだって美味しそうに食べるのが絶対条件だった.ツライのは当たり前だ.
 もともと食べ物にあまり興味を感じない味オンチだったから,その種の苦労をした覚えは少ないが,それでも進退極まったことが何度かある.若い頃,普通のサラリーマンをしていた時期があって,取引先を訪ねると会社によってはお茶を出してくれた.緑茶なら美味い不味いは全然分らないから,どんなものでもありがたく戴くことにしていた.
 困ったのはコーヒーで,インスタントに粉末ミルクと砂糖がたっぷり入っている場合が多い.好意でそうしてくれるのは分っているのだが,甘いものと乳製品が大の苦手だったから、これには参った.先輩の世代は概ね砂糖欠乏症の傾向が強く,甘いものがご馳走という意識が強かった.若い頃の喫茶店では,コーヒーと一緒に持ってきた砂糖壷を早めに引き上げるのが,ウェイトレスの重要な仕事だった.今考えるとケチクサイと思うだろうが,当時砂糖は高価だったし,水に砂糖を入れて飲む習慣のヤカラが居たのも事実だ.しかし,生意気にもコーヒーはドリップかサイフォンでいれたのをブラックでと決めていたから,出された甘ったるいインスタント・コーヒーは辛かった.そこで考えたのは,健康上の理由でコーヒーは飲めない,という口実だった.病気によってはコーヒーが禁じられるから,これは有効だった.持ってくる女性も,単簡なお茶でいいのだから,案外好評だったかもしれない.
 給食の脱脂粉乳で育ったから,牛乳は大の苦手で口に含むだけで吐き気がする.今では味覚が鈍くなってしまったが,若い頃はシチューにかかっている生クリームも除けていた.そんな時代に,牛乳メーカーに広告の注文を取りに行く仕事が回ってきた.暑い季節だったが当然スーツを着て出かけたのだが,話が進むうちに恐れていた事態がおこった.おひとつどうぞ,とビンに入った冷たい牛乳が出てきてしまったのだ.それもフタを取った状態で出てきたのだから,万事休す!頭の中はパニックだった.
 結局,なんとイイワケしたのか忘れたが,飲まずに帰ってきた.帰る道すがら,一緒にいた同僚に文句を言われたが,仕方がない.幸い注文は上手く取れたので,それ以上は追求されなかったが,以後その会社には行くな!ということになった(当然だ).言い訳を許してもらえるなら,もし無理をして飲んでいたら間違いなく吐き出してしまい,仕事はその場でパアになっていたと思う.
 食事をしているとき,あからさまに「美味くない」とか「不味い」とか口にする人がいるが,およそ行儀の良い態度ではない.同じものを食べている人が傍にいるのだし,食べ物には好き嫌いの要素があまりにも多いからだ.気に入らなければ黙って残せばいいし,文句を言うなら一緒に食べている人にではなく,作った人に言うべきだろう.ただし作る側にとっては,文句を言われるよりも黙って残された方がショックは大きい筈だから,反省を促すならその方が効果的だ.
 ところで,昔付き合っていた音楽評論家に面白いヤツがいた.ずっと独身だった彼には,既婚の友人が多かった.話を聞いていると,度々友人たちの家に呼ばれて食事をご馳走になっているらしかった.仕事の打ち合わせ等で彼とは食事をする機会が多かったが,ある時友人たちが喜んで食事に招く理由を発見した.彼は特別お行儀が良いわけではなく,場合によってはピラフの皿を持ち上げてスプーンで掻きこむといった食べ方さえするのだが,お気に召した時には満面に美味しそうな,幸せそうな表情を浮べるのだった.
 なるほど…と,しみじみ思った.作った人にしてみれば,それはどんな褒め言葉より最大・最高の賛辞だ.わざとではなく,本当に美味しそうに食べられる事こそ本物のグルメのだったのだ.ただし,これはかなり稀有な才能だとも思う.うっかり真似をしてウソがばれたら,相手が女性の場合永久に許してもらえないだろう.気軽に真似はしないほうがいい.
 美味しいものを貪欲に求めるのではなく,ものを美味しくいただく…そう,食べ始めるときの,いただきます!という言葉にこめられた感謝の気持ちが,「グルメの極意」だと思うのだが,如何思われます?
                                                          (stupidcat)



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