“gourmet”
 人間の味覚というのは,幼児の段階でほぼ決まってしまうという話を聞いた覚えがある.恐らく他の感覚も同様だとは思うが,味覚は“すり込み”の要素が強いらしいから,影響は大きいのだろう.幼児の段階で様々な味を体験することによって,その後の人生での“食べる喜び”に差が付くとすれば恐ろしいことだ.
 これが事実だとすれば,個人的には絶望的な気分にならざるをえない.自分がおよそ食べ物に興味を持てない理由も,納得できてしまう.唯一救いがあるとすれば,我々の時代には現在のように人工的な味付けが比較的少なかったことだ.今の幼児・小児は気を付けてやらないと,強烈な刺激に味覚が麻痺してしまいかねない.
 これも聞いた話で恐縮だが,巷間気楽に使われている「グルメ("gourmet"…正しくはグ-ルメ)」という言葉.当の仏蘭西では「食いしん坊」というニュアンスが強く,どちらかというと軽蔑を含めて使われることが多いそうだ(仏蘭西人の言).私はグルメ!…などと××ヅラをしている連中はご存知ないのだろうか.自分が興味を持てないせいか,若い頃は食べ物にウンチクを傾ける人のことを軽蔑する傾向があった.特に,“何でも食べられるのは味覚が鈍感だからだ”などと放言していたのは,我ながら滑稽だったと反省している.
 運が良かったので,美味しいものも多少は食べてきた.超高級なものには縁がなかったが,好景気の時代には大手企業のご招待にあずかるチャンスが時々あって,程々に高級な食べ物にありつくことが出来たの.もっとも普通の仕事に就いていたら,多分縁がなかったろう.身銭を切ってご馳走を食べる習慣は,全然無かったからだ.
 ところで,この世には「好きなもの・嫌いなものは存在するが,美味いもの・不味いものは無い」というのが若い頃からの持論で,今も基本的にはそう考えている.現に味の基準は時代差・地域差が大きく,絶対的な味覚などというのは甚だイーカゲンなものだ.その時点での多数決の原理に支配されている,と言ってもいい.
 ただし政治の場合と同様,個々人の意識レベルが水準を保っていないと,結果は悲惨なものになる.最近のトロ・大トロの大流行りが良い例で,江戸時代には脂臭いと嫌われ捨てられていた部分を,今ではありがたがって珍重している.蕎麦なども同様で,何処かの名人が信州で種から育てて…などという話がマスコミに取り上げられると,わざわざ遠くから人が押し寄せたりする.
 本来は,米が出来ない土地だから仕方なく蕎麦を植えて,飢えを満たしていただけの事だ.江戸・東京に出てきた地方人が都会の水に馴染むにつれて,食べ物として洗練されてきたのが江戸前の蕎麦だっただけの事.わざわざでかけるにしてもせいぜい隣町まで,歩いて行ける範囲で済ませてしまうべき食べ物だと思う.だから行動範囲の中にまっとうな蕎麦屋があれば,素直に感謝すればいい.
 いわゆる「グルメ」と似ているのが,「コレクター」という人種ではないかと思う.古いもの,珍しいものには,無論興味があるし,時には欲しいと思う.でも,使いもしないモノを集めたいとは思わない.
 貧乏になって,少しでも金目の物といえばカメラぐらいしかなく,結局ほとんど手放してしまった.いずれ同じ物をもう一度手に入れたいとは思っているのだが,それは飽くまで使うために欲しいので,コレクションとは違う.もちろん,思い出の染み着いた使わないモノも手許にはいくらかはあるが,それは個人的な記念品であってコレクションではない.だから,関連のある同種のモノを集める気持ちにはならない.
 1度もフィルムを通した事のないカメラを自慢する向きもあるが,学術的な興味で収集するならともかく,単に持っているだけならナンセンスだ.カメラは写真を撮る道具なのだから
(もっとも,同じものを2台入手して片方を無傷のまま保存する余裕のある人は話が別だ)
 似たような例で,人間国宝級の名人が作った茶碗に大枚をはたいて,一度も使わずにしまいこむ人がいるらしい.使わない茶碗には何の価値もないし,眺めるにしても個人が隠し持っているだけではこれも無価値だ.どんな名画だって見る者がいなければ,ただの布(紙)と絵の具に過ぎない.モノの価値は,使い眺める者の感動・感銘に比例する.
 知人に,ブリキ玩具のコレクターがいる.最近の骨董流行りで,似たような連中が増えているらしいが,もう30年以上もコツコツ集めていて,年季が違う.この人の場合,単に集めることが目的なのではない.ブリキ玩具の裏に隠れている歴史的背景を解明するのが主な目的で,いずれは公開するつもりでいる.例えば,占領時代に作られた玩具の裏面には,果物の絵が印刷されていたりする.それは,米軍から放出された缶詰の缶を再利用しているからだ,という話はこの人から教わった.
 「グルメ」と「コレクター」に共通するのは,感動・感銘を独占したがる傾向だと思う.いわゆる美味しさ,美しさで得られるものを自分だけで味わい,他人に分け与える気持ちを持てないのが,彼等の特徴だ.別段,みんなにソムリエや評論家になれと言うつもりはないのだが,思わせぶりに自らの感動・感銘をチラつかせて,羨望の目で見られることに喜びを感じるという精神構造は,一言でいうと“卑しい”と言えまいか.
 『あなたって,けっこうグルメ…』なんて言われたら,言葉の裏にひそむ意味を一応は考えてみたほうがいいだろう,と思う.                                                        (stupidcat)
【蛇の足…゛gastronome゛】 
 世の中には,「一切れン千円の刺身」というのがあるのだそうだ.一皿ン千円ぐらいの刺身は(むろん人様のお金で)食べたことがあるように思うが,恐らく食べくらべても分らないのではないかと思う.残念ながら,いたって「違いの分らない」オトコなのだ.それにしても,そんなものに大金を投じる人が居ること自体が信じたくない気分だ.他にもっと有効な使い道はないものか?などと考えるのは貧乏人の僻みだろう.つい考えてしまうのだ,一皿ン千円の方にしておけば,何回も美味しい刺身が食べられるではないか!…と.まぁ,一皿ン百円の刺身も満足に食べられない者の発想,と言ってしまえばそれまでだが.



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