“踏切”
 バードウォッチングなどという洒落たことではないのだけれど,公園のベンチで野鳥を観察するのが日課だった時期がある.
 いつも座っているベンチから,池を挟んだむこう側に高さが3m程の石垣がある.時おり子供が攀じ登っているのを見ると,若かった頃を思い出す.ホンの少しだけ岩登りの真似事をやったので,
 "三点確保","重心の移動","岩から身体を離す"
 の三カ条は,アタマの片隅にしっかり残っている.つまり,4本の手足のうち一時に動かしていいのは一本だけ,確保したポイント
(足場)の真上にすみやかに重心を移動してやる,背筋を伸ばして足元と上方が見える姿勢をとる,の3点を常に意識していれば,意外な程楽に登れる(…という事になっている)
 とは言うものの,今ではちょっくら登ってみようという気にはならない.現役時代は,身長より高いぐらいの所から落ちてもなんてことは無かったが,この年になると怪我が怖い.痛いのはガマンすれば済むが,日常生活に差し支えるのは困る.
 残念ながら,本格的な岩場に挑戦するところまで行かずに終わったのだが,ゲレンデ
(スキーと同様,練習場の意)には随分通った.よく行ったのは,池袋から西に伸びる私鉄で1時間余り先にある岩場で,ハイキングコースの起点だった.next↓
 若者の思い上がりと言うべきだろうが,岩を攀じていた頃は,眼下を歩くハイカーが気の毒で仕方なかった.たとえ万年初心者であっても,クライマーはハイカーをナメてかかる傾向がある.言い訳めくが,岩場から下を眺めると,ハイカーたちがこちらを見上げる顔はあまり利口そうには見えない.人間というのは,上を見ると自然に口が開いてしまう.口をポカンと開けていると,端正な顔立ちの人もマヌケに見えるものだ.
 ある日,たまには岩にしがみつくのを中止して,ゲレンデから続くハイキングコースを歩いてみることにした.クライミングの装備を担いだままだったが,別段苦になる重さではない.30`+αのザックを担ぐことは夏,場の縦走では普通だったし,なんたって若くて元気いっぱいだった.
 しかし歩き始めてすぐに,相棒と共に後悔した.水平から60度以上切り立った処を攀じ登るのが楽しくて仕方なかったのに,せいぜい10%ぐらいの勾配で上がったり下がったりする道を歩くのだ.登りがある程度続けばともかく,ちょっと行くとすぐに平らになったり降ったりの連続だから飽きてしまう.ペースはむやみに速くなり,ガイドブックでは2〜3時間かかる筈のコースを一時間で踏破してしまった.
 正直に白状すると,キツイ坂道は苦手だった.人の3倍ほど休憩しないと,アッという間にバテてしまうのが常だった.ゆっくりと,しかし確実に距離を稼ぐタイプの相棒とは,当然ペースが合わなかった.だからたいていは別行動だったが,長い休憩地点で合流する習慣だった.
 ただし,二人とも平地や降りの速さだけは抜群だった.ガイドブックに2時間と記されたコースを,30分程で駈け下りてしまったこともある
(山小屋の人は,信用しなかったが…).その日も予定より随分と早い時間に,ハイキング・コース終点の私鉄駅に着いてしまった.next↓
 結局,その近くに住んでいた女友達の家に押しかけることになった(なぜか,両親にすごく歓迎されて面食らった).ところが帰る段になって,彼女がたまたま遊びに来ていた親友と喧嘩をはじめてしまった.結局,駅まで送りに来てくれたはずの彼女を慰めながら,再び家まで送るはめになってしまった.おかげで終電車に乗るりそこない,相棒は喧嘩の一方の当事者を送るため先に帰ったから,暗い駅に一人残された.
 ともあれ,郊外の駅で夜明かしはできないから,始発電車が動くまで歩こうと決めた.場所は,東京を挟んで我が家とは反対側の埼玉県だから,地理勘はゼロだ.確実なのは線路をたどって行くことで,並行している道はなさそうだったから,線路上を歩くしかなかった.都心まで約1時間の典型的な郊外の住宅地なのだが,当時は畑が多くて街灯などまるで無い.幸い天気はよかったから,月明かりで足元は何とか見えたが,30分もしないうちに後悔しはじめた.せっかく彼女が泊っていけと言ってくれたのを,意地を張って断ってしまったのだ.初めて訪ねた女友達の家に,いきなり泊めてもらうなんて出来ない!…と言ってしまったのだが,我ながらアサハカだった.埼玉県のはずれと,我が家のある千葉県のはずれとは,直線距離にしても徒歩で20時間はかかる.
 それでも,2〜3駅分ぐらいは歩いただろう.前方に川があって,鉄橋になっている.見廻したが,近くには他に橋は見当たらなかった.不覚にも知らずにいたのだが,列車専用の橋は枕木の下に鉄骨があるだけで,間には何も無い.足を滑らせたら,10mほど下に見えている川に落ちることになるし,足元はよく見えない.怖かったが仕方ない,意を決してなんとか渡ったが,先のことを考えると気が重かった.
 案の定しばらく行くと,今度はガードがあった.下は道路だから溺れる心配はないが,落ちれば只では済まない高さだ.歩幅を選べない長い階段は疲れるものだが,枕木の上も同様で,山道よりも疲労が早い.おまけに橋やガードがあって,神経を逆なでする.しかも,さらに極めつけの事態が待ち受けていた.
 山で一人になっても,怖いと思ったことはあまりなかったが,草木も眠るウシミツドキに郊外の線路を歩いている時,さしかかった踏切の傍にまあたらしい花が飾ってあったりしたら…
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それが,あったのだ!

 霊感なんてものは持ち合わせていないつもりだったが,この時は背筋がゾクゾクした.その場の空間自体が,怖かった.駆け出す元気は残っていなかったが,とにもかくにも早くその場を逃げ出したかったので,飛び跳ねるみたいに歩いた.背中がずっしり重かった.
 しばらくすると広い道路に出て,運良く通りかかったタクシーに飛び乗った.近くの駅まで行き,不審尋問される前に交番の巡査に事情を説明し,ザイルを座布団代わりに夜明けを待って,帰宅した.
 「踏切と花」について,誰にも話さなかったのは言うまでもない.我ながらお粗末な一夜だったが,未だに時々思い出しては,独りで笑ってしまう.若い日の思い出話としては,一級品だ.

 「仕事はなるべく楽しく,でも遊びはなるべくシンドイ方が良い」と常々主張しているのだが,安楽でオモシロイ遊びばかりだと,年をとってから寂しいのではないかと思う.もっとも,だからと言って真夜中に郊外の線路をトボトボ歩くなんてことは,…決してお勧めするつもりはない.
                                                        
(stupidcat)
【蛇の足】
 後日談と言う程の話はない.その後も山には随分通ったが,あまり怖いコトには遭遇しなかった.
 山屋仲間には様々な怪談・奇談がつきものだが、身近ではその手の話は聞かなかった.怖がりやだと知って,遠慮してくれるようなデリカシーのある山屋なんていない.そういう手合いはもっと嚇してやろうというのが普通だから,運が良かったのだろう.
 本文に書いたように,一緒に歩くこと(と呑むこと)の多かった相棒とはペースが全然違っていたから,実際には単独で行動する機会が多かった.単独行というのは,山屋の世界では一目置かれることがある.ただし,一度だけ単独行で出かけた春山で,遭難の半歩手前を経験した.その時ほど,孤独を感じたことはない.赤みを帯びた岩が誰かのザックに見えたり,鳥の鳴き声が人の話し声に聞こえた.「怖い」というのとは少し違うのだが,生物としての本質的な恐怖感というのはこういうものかと思った.もっともこの時は,陽が落ちる寸前に人に巡り会えた.夜になっていたら…と考えると,正直言って“平静で居られた”自信はない.



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