参考HP⇒ http://www.gt40.org.uk/
       http/www.me.mtu.edu/~prater/GT40/GT40.html
        http://www.gt40club.clara.net/
       http://www.holmanmoody.com/








  〔見果てぬ夢〕

↑街を行く“見果てぬ夢”


 この章のタイトルは、『ラ・マンチャの男』という映画
(もとは舞台劇、注@)の挿入歌で、主人公が英雄的な騎士になる夢を歌う。そんな壮大な夢の持ち合わせは無いのだが、もっとささやかな望みはある。それが、GT‐Forty(40、写真左)だ。

 何とも古臭いクルマだな…と思われるだろうが、実は本当に古く、60年代中頃から70年代前半にかけて造られ、活躍していた耐久レース車なのだ。
 60年代初め、米国フォード社は世界戦略の一環(注A)として、欧州のレースに乗り込んだ。最初は、あのフェラーリを買収(!)しようとしたのだが当然失敗し、自前での参加を決めた。
 結局、英国のローラ社
(注B)の“既存の設計とマンパワー”を丸ごと買い上げ、同地に新しい拠点とティームを立ち上げた。つまりローラ社を一時的に買収する格好になったワケだ。米国からもエンジニアが参加して創り上げたのが、GT‐40だ。車名の数字“40”は、車の全高(インチ)のことだから、たいした意味は無い。
 この時代の耐久レースを闘っていたのは、当時の規則でGr,6(グループ6・スポーツプロトタイプ・クラス)だった。建前として、そのまま市販できる事が要求されたから、ささやかだがトランクスペースとスペアタイアを備えていたし、エンジンもF‐1のように神経質ではなかった。(Fordが進出する前に全盛だったのがFerrariだった。左写真は63年のルマンで優勝した275P)
 しかし70年代になると、レギュレーションが競技志向を強めた。だからGT‐40辺りまでが、「乗用車と競技用車の間を埋める存在」としてのスポーツカーだったと言える。
 初期には、自社製4,7gエンジンで勝てると踏んでいたフォードだったが、結局悲願のル・マン24時間を制覇する為には、7gエンジン搭載のMk,Uを投入する必要があった。勿論、話がこれで終わったのなら面白くはない。
 欧州勢の陰謀で、Gr,6クラスの最大排気量が5gまでに制限された後、GT‐40は再び頭角を現したのだ。4,7gエンジン車(ただし規則ギリギリの5gに拡大)の各部をリファインし、闘いを続行した。この時点でフォード自身は手を引いており、英国人のJ・ワイアがティームを運営した。スポンサーがGulf石油だったので、マシンのデザインは明るい水色にオレンジのストライプになった。(比較的最近のレース・シーンで、このカラーリングを見た方も多い筈だ)
 欧州勢は、自分たちの都合でルールを強引に変えたのだが、情けない事に続けて2年間(’68〜’69)も、ル・マンの優勝をGT‐40にさらわれてしまった。しかも連続優勝したのは、同一シャーシ(#1075)の一台で、こんな事はレースの歴史にも他にほとんど例が無い。
 E・ブロードレイ(ローラ社主・設計者)の基本設計が優れていたのと、高性能ではないがタフな米国製エンジン
(注C)、そしてJ・ワイアのマネージメントの巧みさが産み出した成果、と言える。しかし、その後は流石に古さを隠しようが無くなり、シャーシ・ボディを大改装した“ミラージュ”が造られたが、大した活躍はしなかった。
 GT‐40には最初から公道用モデルが計画され、僅かな数だが実際に市販された。これは、ある台数を造ればGr,6プロトタイプではなく、Gr,4スポーツカーとして登録出来たからで、レースでは総合順位の他にクラス別の勝ちも狙えた。
 勿論、大多数はレース用として購入され、使用されたが、豪華仕様モデルはいわゆるスーパーカーとしての条件を、十分以上に満たしていた。レース車としては視界良好だし、サイズも適当、耐久仕様だから乗り心地も悪くない。何より、軽くチューンした米国製V8エンジンはメインテナンスも楽で、耐久性も高い
(注D)。現代でも充分に通用する性能と、使い勝手の良さを両立させている。
    (⇒写真は,公道仕様一台.Yamaha注Eが研究用に保有していたもの)
 オリジナルはめったに市場に現れない。出たとしても、極端に高価だ。今でも人気が高い証拠に、レプリカが何種か造られている。無論、日本でナンバーを取得しようとしたら、車両代を含め数千万円が必要だろう(レプリカでも)。だからこそ、結局は『見果てぬ夢』なのだ。
 …せめてプラモデルでもと思うのだが、驚くべき事に気の利いたキットが見当たらない。ここに紹介したのは、英国のマニアがMk,U型のキット
(日本製?注F)を大改造して作り上げた労作の例だ。これも又、不器用者にとっては、『見果てぬ夢』らしい。
                                 (stupidcat)

@主演ピーター・オトゥール/ソフィア・ローレン、日本では松本幸四郎が演じた
Aスポーツイメージを高め、初代マスタング等を売りまくる作戦だった
Bレース用車のみで食っていける、英国独特のメーカーのひとつ
C当時のFerrariなどの競技用車はリッターあたり100ps超だったが、米国製V8は
 せいぜい7〜80psだった代りに、タフではあった
Dいくらなんでも…のOHV!だったのだ
Eトヨタの高性能エンジン設計に関係しており、あの2000GTのエンジンにも音叉マ
 ークの刻印があった
Fフジミ製「GT40Mk.U」のキットだろうと思われる↓
 (参考HP⇒http://home.swipnet.se/~w-26912/mod/mod.htm
最近ネット上で売りに出されていたGT40は、9桁(円)だった
 勿論、いわくつきの一台で程度も最高の状態、という条件だろうが

 ↑あのB.マクラ−レンのドライヴする初期のGT40





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