“ちーず”
 バードウォッチングなどという酒落たことではないのだけれど,公園のベンチで野鳥を観察するのが日課だった時期がある.ことさら生物学に興味があったわけではないし,記録を取ってどこかに発表しようという大それた考えもなかった.定点観測として報告してみれば?と薦められたこともあったが,面倒くさいので止めた.
 とはいえ,ぼうっと眺めているだけでは芸がないから,手元にあったカメラで写真を撮ることにした.双眼鏡で見ただけでは,鳥たちの細かい“造作”がいまひとつ分らないという理由もあった.物覚えが極端に悪いし,ノートに記録を取るなんて柄でもない.写真なら手軽でいいと考えたのだ.レンズは昔友人から譲り受けた安物の300mmで,性能はあまり期待できそうもないが,コンテストに応募するワケではない.もちろん他の被写体も想定して,広角〜準望遠のズームレンズも用意した.
 野鳥の写真というやつは,運に大きく左右される.貧乏の極地みたいな時期だったのでフィルムの入手にも苦労したのだが,あいにく運には見放されたらしかった.肝心の鳥たちはなかなかレンズの向こうに現れてくれず,代わりに現れたのが,“良い子の皆さん”だった.
 公園だから,当然子供が遊んでいる.子供が多いほど鳥たちは警戒して近付かないから,こちらの仕事?はヒマになる.それだけならいいのだが,困ったことに“良い子の皆さん”の中には好奇心が極度に旺盛なのが混じっている.三脚にカメラを据えてボウッと座っているオジサンが,そんなに珍しいのだろうか?彼らの初めのセリフは決まっている.
 「オジサン,なにしてるの?」…なにって,「オマエサンたちがいなくなるのを待っているのだ」とは言えない.子供が小さければ,近くには必ず保護者がいる.只でさえ“ヘンなオジサン”と思われているのに,そのうえ“意地悪なオジサン”という評判が立ってしまったら公園に居づらくなる.
 子供たちに対しては“コチラから積極的にアプローチしない・何か聞かれたら誠意をもって答えてやる”と決めていた.とはいえ,彼らは例外なしに複数で襲ってくる.対応は,困難を極めた.たいしたモノではなくても,三脚に載せたカメラは壊れ物だ.周りで騒がれるのは,かなり怖い.相手は幼児・小児だから,もし何かあっても弁済能力はない.
 そんな時,効き目のある手はひとつだけだ.「よし,そこに並べ〜!」→「前の列はすわれ〜!」→「撮るぞ〜!」→「はい,撮ったゾ〜!」→「おわり〜!」…これが一番効果的だった.
 ある園児のグループはいつも5〜6人で,広い公園の隅から隅まで駆けずり回っていた.入園前の小さいのも2人混じっていて,賑やかさでは群を抜いている.駆け回るのはいいのだが,いつ三脚を蹴飛ばされるかヒヤヒヤものだったから,傍に整列させて撮ってやると騒ぎは収まった.幼児は自分が被写体になってしまうと不思議と落ち着いて,その後はほとんどまとわりつかない.
 別の日は,小学生の少女たち.何人かは顔見知りで,話した覚えもあったのだが,総勢7名様で押しかけられると手に負えない.池に入ってパチャパチャとやっている間は撮影のじゃまになるだけだったが,暇そうなオジサンとカメラに興味を持ったリーダーちゃんにツカマッテしまった.園児たちもそうだったが,子供の集団にはやたらに賑やかな見かけのリーダーと,集団の頭脳的存在の一見目立たない影のリーダーがいて,状況に応じて役割が切り替わるらしい.カメラとオジサンに近付いてきたのはもちろんやかましい方で,悪いことに彼女とは既に顔見知りだった.
 初めて“鳥を撮る大人”に接した少女たちが,どんなふうにはしゃいだかは想像に任せるが,結局最後の切り札を持ち出すしかなかった.幼児たちと違って,既に自意識が形成されている年齢だ.すんなり並ばせてパシャッ!…とはいかなかったが,それでも2度シャッターを切ったらおとなしく解散してくれた.相変わらず池のまわりで騒いでいたから撮影のじゃまには違いなかったが,3メートル以上離れてくれた.公園で特定の子供,特に少女と異常接近していると,つまらぬ疑いを掛けられる恐れがある.イヤな世の中だと思うが,現実は現実だ.
 鳥の写真は仲間に見せてケナされるぐらいで済むが,撮ったのにそのままというワケにいかないのが“良い子の皆さん”たちだ.仕方ないから,写っている人数分をプリントした.余計な出費と思えば腹も立つが,ヤッカイモノを避けるためのオマジナイ料だ.あいにく顔は知っていても,何処の子かは分らない.幼稚園の名前は聞いた覚えがあったから,園児が帰った時間帯を見計らって届けた.可愛い保母さんが,間違いなくウチの園児ですと写真を見て嬉しそうに笑ってくれた.少女たちの方は,学校の名札を見ていたからこちらも届けに行った.受付では埒があかず,教頭とおぼしき中年男が応対に出たから事情を説明して,子供たちに渡してくれるよう頼んだ.ただし,なんとなく釈然としない気分だった.
 後日,公園で三人の若いオバサンから立て続けに挨拶された.園児の母親たちで,少々面食らったが悪い気分ではなかった.ところが,少女たちの方からはレスポンスがまったくない.子供はそんなものかとも思ったが,話す機会があったので訪ねてみると,写真のことなど知らないと言う.あの教頭が握りつぶしてしまったのだ.釈然としなかったのは,なんとなく信用できないという印象だったのだ.
 ウンザリしたがもう一度プリントして,今度は直接渡してやった.怪しげなオッサンに見えたにせよ,人の好意を勝手に握りつぶしてしまったあの教頭に,教育者としての資質があるとは思えない.世の中のネガティヴな面を教えるのも大切だが,ポジティヴな面を伝える義務だってあるはずだ.
 それにしても,カメラを向けられた子供が必ず出す「Vサイン」と「チーズ!」は何とかならないものだろうか?Vサインは勝利の意味だし,チーズと発音すると子供の表情はたいていコワバッてしまう.楽しければ,笑みは自然に湧き出るものだし,勝ち負けに無関係なVサインは礼儀に反するのではないか.
 『背筋を伸ばしてアゴを引く!』これさえキチンと教えてやればいいと思う.
GoodGrief…         (stupidcat)
【蛇の足】
 米国東海岸のテロ事件に遭遇した観光客が,現場をバックにVサインで記念写真を撮ったことが,現地の人々に大顰蹙をかった…という報道があった.さもありなんと思ったのは,神戸の地震でも近県の若者たちが被災地で,似たような事をやっていたからだ.
 やはり神戸で起きた子供の首切り事件でも,犯人が明らかになった時の現場報道で,背後に集まった中高生諸君がしきりにVサインを出していた.日本人は,いつからこんなに無神経(?正直に「馬鹿」と言うべきか)になったのか?….
 「すべては,教育と躾だ」と思う.言っても虚しいだけか.



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