連想の風景  
    〔bubble〕
 「バブル」と聞けば,即座に「経済」が連想ゲーム的に思い浮かぶ."bubble"なる単語が一般的になったのは,「バブル経済」のおかげだ.あまりありがたいコトではないけれど.
 ヒコーキ好きだったら,「バブル・キャノピー」を最初に思い出すに違いない.1人ないしは3人乗り程度の小・中型機の,胴体から突き出した風防の事だが,案外な事に日本の発明という説がある.
 WWUの初期には,パイロットのバックレスト後方の胴体が伸びた(クルマ風に言うと,ファストバック)型が主流だった.理由は,恐らく胴体の剛性を確保するためだろう.この時期,モノコック(張殻)構造が主流になり,胴体に穴(つまりコクピット)を開けると剛性が低下してしまうのを,カバーする為だ.それ以前のコクピットは胴体に開けた只の穴だったが,骨組み構造だったので問題にならなかった.張殻構造は,いわばbubbleだ.穴が開けば,剛性はガタ落ちになり壊れ易くなる.
 国産の戦闘機も,九六艦戦/九七戦はバックレスト付きだ.それが零戦,隼からは所謂バブル(水滴)型に変った.同時期の外国機は,この時期もまだファストバック型だ.当時の戦闘機にとって,視界の確保は最重要課題だったらしく,九六艦戦では多くのパイロットが風防の頭上部分を外していたという.ただし工業力の後進性故に,水滴型とは言っても零戦,隼ともに骨?が多くてスッキリしない.
 外国機では,スピットファイアがファストバック型ながら,頭上部を膨らませた独特の形態を採った(試作型は別).これは結構オシャレで,マスタングの初期型にも真似をした例がある.そのマスタングは,中期型から完全なバブル型を採用した.こちらはさすがに工業先進国だけあって,文字通りの泡型だ.スピットファイアも,最終型では完全な泡型になった.
←写真左から…
Spitfire,Fw190,F8Fの"bubble"キャノピー.ほぼこんな具合に発展してきた.技術の進展と時代の要請による変遷の結果.
 その後のジェット機時代になった.音速を超えれば後ろを振り返る必要もなかろう…という訳で,再びファストバック型が主流になった.ところが,べトナムの戦闘で再び流れが変ったらしい.大雑把に言うと,あの時代に評価の高かった機体は,たいていキャノピーが高く張り出している.
 航空機写真を主な生業にしている知人から聞いた話なのだが,航空自衛隊の現場では国産練習機から発展した攻撃機の評判は,芳しくないそうだ.その理由は,やはり後方視界が悪いからだと言う.あのデッカイ風防のファントムでさえ,風防全体が前傾している事が問題になる.典型的なファストバック型のサンダ‐チーフなどは,ベトナムでパタパタ墜ちて息の根を止められてしまった.ベトナムの戦訓を採り入れて.現在主力になっている機体は,殆どが高く盛り上がった完全なbubble型を採用している.F−14/−15/−16/A‐18を見れば,視界の確保がいかに重要視されているか分るだろう.F‐16などパイロットの上半身が剥き出しで,返って怖いのではないかと心配になるぐらいだ.


 ←FA-18Hornet(フィンランド空軍)の空中給油.
 典型的な現代のバブル・キャノピー.視界の広さに注目.
 FA-18は複座だが,単座のF-16なども同様の形態を採
 るのが最近の傾向.
 さて,bubbleでもうひとつ思い出すのは,かつてバブルカーというクルマのジャンルがあった事だ.WWU直後,造る物の無くなった敗戦国の航空機産業が細々と造っていたのは,ミニマムトランスポーテーターとも言うべき超小型車で,これをバブルカーと呼んだ.メッサ‐シュミット,ハインケル,イセッタ等々,ヒコーキ好きにとっては懐かしい名前が並ぶ.たいていは2人乗りの3/4輪車で,バイクサイズのエンジンを載せていた.メッサ‐シュミットなどは,戦闘機並みに横開きキャノピー(これもバブル型)のタンデム2人乗りだった.最近もレプリカが造られ,我国にも輸入される程人気が高い.



 ←Messerschmit KR200."バブル"キャノピー装備の"バブル"カー.
 座席配置は,縦(タンデム)2人乗り.写真は前2輪の3輪車だが,
 4輪モデルもあった.バイク並みの俊敏な運動性が特徴だった.
 日本でも最初は鍋・釜・弁当箱から始め,後にスクーター等を生産した.彼の地では小さいとは言えクルマだったのに,こちらはせいぜいスクーターだった.国全体が貧乏で,クルマなんて庶民の間では夢にさえ登場しなかったのだ.戦後も長い間二輪車が充分なステイタス性を保ち,貸しバイク屋が繁盛した.そんな国が,誰でもクルマを持てる国を相手に戦ったのだから,勝てる道理が無かった.やはり裕福ではなかったイタリアでも,同じ時期にべスパが生まれているが,造ったのは元航空機産業のピアッジョだ.
 バブルカーは,真っ当なクルマが普及し始めると,名前の通り泡のように消え去った.ちゃんとしたドアがあり,雨の日も安心して走れる車が程々の価格だったら,誰でもそちらを選ぶ.国内でも,スバルやパブリカが登場すると,いとも単簡に2輪車を捨て去った.雨の多い国では,対候性の差は決定的だった.


→’59年の広告.“Scootacar”とは随分と芸のない命名だが,時代を象徴していたのだろう.傍らに立つ女性のプロポーションは当時の日本女性では考えられなかった(?!).“泡沫的車”には珍しく,ちゃんとしたドアを持っている.ルーフは恐らくキャンバスだろう.
 
 “bubbly”は,訳せば泡沫的か?一時期,文字通りのバブリィ・エイジと交際があった.宇宙は自分の為に存在する…という概念が価値観の中核にあるのが彼等の特徴だ.景気が多少傾こうと,この発想は変わらない.社会が自分に何でもしてくれるのが当然,と考えているらしかった.
 そんな彼らも,既に親業を始めている頃だが,泡の子供はいったい何になるだろう?ちなみに"bubbler"は水飲み機,またはシャンペンの事らしい.もちろん後者の方が好ましいのは,言うまでもない.             (stupidcat)
【蛇の足】
←'59年の広告.“Heinkel”は,Heの記号で始まる幾多の傑作機を産んだあのハインケルだ(隼,彩雲の中島がスクーター等で息をつないだのと同じか?).「10%オフ」みたいな記載があるのは,既に落潮気味だったせいだろうか.'59年といえば,既に戦後経済が上昇に転じていた時期だから,まっとうなクルマが適正価格で入手できたはずだ.『泡沫的車』の居場所は,既になくなりつつあった.(タイトル写真もHeinkel)



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