3wheeler
参照HP⇒http://pages.zoom.co.uk/elvis/index.html
       http://home.t-online.de/home/gerhard.kiessling/

      ↑BSA(1930)

 最近の子供たちがどうなのかは知らないが,三輪車で遊んだ経験の無い人は少ないのではないかと思う.安直で安全,保護者にとっても扱いが容易な,偉大な遊具のひとつだろう.
 何しろFF
(前輪駆動)だから,方向安定が良い.ステアリング系の設計?が単純な点も優れている.これが,西洋風の前2輪の三輪車だったら操舵・駆動系が複雑になってしまう.そう言えば,荷物運搬用の手押し車も西洋では押し,こちらは引きが主流のようだ.鋸(ノコギリ)などの工具にも,同じような違いがあるのはご存知の方も多いだろう.
 もちろん,例外もある.全てのクルマの元祖であるベンツの三輪車は,前1輪だった.これは,前述の操舵系の設計が簡単な事と,性能の低さ?から差動装置の必要が無かったからだろう.ただしこれは例外と言える.現に,それ以降欧州で造られた三輪車のほとんどは,前2輪式だった.
 一方,我国では大八車に代表される牽引式の2輪車の歴史があり,前1輪・後2輪形式のFFが(?…人を駆動輪に例えるのはどうかと思うが)受け入れやすかったようだ.西洋には馬車の歴史があるが,これは脚の数からして4輪と考えるべきだろう.日本が誇る?人力車も,やはり前1輪の三輪車と見たほうが分りやすい.
 これを証明するのが,戦後の2輪車ブームから脱却する時代を担った3輪トラックたちだろう.ダイハツ,マツダなどは,この車種でメーカーとしての地位を確立した.いずれも前1輪形式で,複雑なステアリング系を省略していた.後2輪だから,デフ
(デファレンシャル・ギア=差動ギア)は必要だが,オートバイ式ハンドルで運転できる点が,2輪車から移行したユーザーに受け入れやすかったのだろう.運転席の左右に助手席を配し,三人乗りとしたのも良かった.
 最も有名だったのは,ダイハツのミゼット
(当然初代)だったろう.人気のあったTV番組で盛大にCMを流したことも手伝って,知名度は抜群.子供はもちろん大人にさえ,軽三輪車は全てミゼットと呼ばれた.シェアではマツダも良い線を行っていたらしいが,高翼の軽飛行機がみんなセスナと呼ばれるのと同じで,名前が売れた方が勝ちだ.
 ところで,経済的に三輪車がやっとだった戦後(WW2)の日本に対して,西欧諸国ではどうだったか?というと,ちゃんと活躍していた時期があった.ただし,主に戦前の話で,戦後には敗戦国のドイツ,イタリアで造られた.経済的にパッとしなかったイギリスでも造られたが,こちらは頑固な「三輪党」とも言えるユーザーがいたためらしい.当然,戦前からの歴史的背景があった.
 厳密にイコールではないのだが,三輪車の多くはバブルカーの範疇に含まれる.バブルカーとは,字義の通り“泡沫車”のことで,まっとうなクルマの代用品といった存在だった.コストを極力削り,小家族が移動するための最低限の性能を確保するべく造られたクルマたちだった. 他方サイクルカーという分類もあって,文字通りバイク並みの簡易な車たちだったが,それだけのレースも行われていた.これには当時の税制も関係があり,例えば課税の基準がピストンの表面積
(つまり,「ボア/2の自乗×π」)だった時代があって,超々ロングストローク単気筒の化け物などが出現した.シトロエンの古いモデル名に“2CV(2馬力)”というのがあるが,あれば課税が計算上の馬力に課せられていた時代の名残だ.
 車輪の数と税金が関係していたかは知らないが,駆動系が単簡な三輪車がこうした簡便車の一大勢力だった事は確かだ.意外なブランドも参入して,マーケットは賑やかだった.兵器のBSA,自転車のラレー等がその代表だった.
 中でも,モーガンは単なる簡易車の域を脱して,三輪車独自の世界を展開していた.仕方なく,ではなく積極的に三輪であることのメリットを主張していた.間に合わせ的なモノが多かった中で,戦後も生き残れたのはポリシーがハッキリしていて,一種の哲学を持っていたからだろう.多くの簡便車たちは,オースチン・セヴンのような「小さな本格派」の登場によって消滅したのだが,モーガンは戦後も三輪車を造り続け,後に
(渋々?)4輪に転向した.
 バブルカーの呼称は,主に第2次大戦後に造られたクルマたちに使われるが,こちらも「小さな本格派」であるフィアットやVW,シトロエンに駆逐された.誰だって,ちゃんとしたクルマが買えればそちらを選ぶ.モーガンも,存在意義をスポーツの方向に振ったから生き残れた.
 日本でも,あれほど普及したミゼットは,いつしか4輪のハイゼットに置き換わった.ミニ1boxのスバル・サンバーが軽貨物車の代名詞になり,後にホンダN360が興した軽乗用車革命で,我国のサイクル/バブルカー時代は幕が下ろされた.
 三輪車は,幼児の為の遊具として生き延びてきた.考えてみると,実車の三輪車でFFというのは多分例がないと思う.実際には登坂力などに問題がありそうだが,簡便なコミューターとしては案外可能性があるのではなかろうか?比較的最近生産された二代目ミゼットはヒットしなかったが,商品としての狙いが明確ではなかったせいだろう.
 黎明期の電気自動車に多用されていたハブ・モーターは,現在の技術なら高性能な物が造れるだろうし,タイアの性能も向上している.FF方式の安定性の良さを活かした新しい発想の三輪車があっても良いのでは?等と,ツマラヌ事を考えている.もっとも,いにしえのバブルカーのような発想では,バブリーな大衆に受け入れられないのは二代目ミゼットの例で明らかだ.かつて,R‐Rのユーザーたちが嬉々としてミニを乗りまわしていたように,小さく安価でも持つ事・乗る事に誇りを感じさせる乗り物でなくてはダメだ.

 肥大化して存在意義を失ってしまった軽自動車の,法的な見直しという手もある.2〜300cc程度のエンジンを併用するハイブリッド方式で,高速道路には入れないが税金その他は思いきり優遇されれば….まぁそんな事を云々する以前に,自分を含めた皆で生活感・人生観を考えなおす方が先だろう,とも思う.発想(品性と言い換えてもいい)の貧しさを何とかしなくては,何も始まらない.                                   (stupidcat)
【蛇の足】
 西欧でも,「前2輪」が絶対的だったワケではない.下図左側3点はいずれも広告の一部だが,特に貨物車は「後2輪」が有利なのは言うまでもない.右端の“Morgan”は,絵を見ただけで荷室の床が高くて積載量は限られる.重心も当然高くなるから,安定性に問題がありそうだ.重い物を積んで飛ばしたら,「コケル」か「スピン」のどちらかだろう(多分後者?).
 左端の“Raleigh”(ラレイ)など,我国の初期の3輪トラックと驚くほど似ている.ドライバーの位置から見て,ハンドルはバイク式ではなくホイール形式だろう.2番目の“Reliant”(リライアント)は価格84ポンドとあり,低価格を売り物にしている(…のだろうと思う).3番目も“Reliant”で,ハードトップは6〜70年代の最新流行だった.このメーカーは現存する.

↑Morganの“エアロ!モデル”に乗る馬鹿猫







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