◎返事対象記事⇒  風が強くても校庭で飛ばしました(宇津)


 
◎ 名前:宇津
◎ 作成日:2007.12.22(土) 10:46, 210.131.4.179

  この講習システムは、故 内山秀夫さんの遺産です     以前内容以後内容    


この掲示板にkussyさん(10月25日) 投稿の航空ファン誌のページ、1957年度(S32)模型航空日本選手権大会成績表に、内山さん、高田さん等、若かりし頃の関西選手の記録が見られます。内山さんは昭和27年頃に大阪ピッチクラブを創り、以来現役時代はもとより、定年後は選手活動と共に、FF少年の育成にも情熱を傾け、啓蒙活動に使える「スチレン翼機」を開発して、自ら材料を集め、家族の協力を得て千機単位のキットを作りながら。この「スチレン翼機」を教材にして、近隣の小学校や地域、内山さんの郷里、静岡県天竜川地域の小学校。さらに、中国にも磯部少年らと「キット」を持参して交流行事にも尽力されました。各地から要請があり、内山さん率いる大阪ピッチクラブは、年に何回かの定期行事となり模型飛行機教室を続けられました。 情熱を燃やしながら 平成8年1月(72歳)で残念ながら故人となってしまいました。残された遺産を大阪ピッチクラブの高見正三さん、川阪末継さん、野々村さん等がキットを毎年600機を1ロット単位で製作し、模型教室の開催指導は、河合良さん主体にピッチクラブ員が随時参加する体制で継承されています。この行事は、内山さん自身で約12年、受け継いだ大阪ピッチクラブが約12年で、作った「内山モデルのスチレン機」キットは、約25年間に1万5千機を越える数になると聞きました。私は、今まで模型飛行機教室はFF愛好者の裾野を広めるキャンペーン活動と狭い認識でした。この模型飛行機教室に参加した生徒等は、簡単とは言え自分の手で模型飛行機を完成して、飛ばし、飛んだ!、この満足感と自信は、成長し社会人となる将来の過程で必ず「行動」の糧となるで有ろう事を、模型飛行機を手にした生徒の誇る笑顔から未来が開けると確信しました。例え、FF人口が期待するほど増えなくても、もっと多くの意義が有ることを気づかされました。内山さんの価値ある遺産を引き継いだ大阪ピッチクラブの皆さん、これからも発展的に継承される事をお祈りします。
















 
                             
 
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