◎ 名前:田んぼのパンダ
◎ 作成日:2012.1.27(金) 10:26
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河川公園での競技会は
どうも生存者で淀川横断競技会に参加したのは川坂さん(1961年F1A日本チャンピオン)ぐらいらしい。内山さんが淀川を泳いだ生々しい話が聞けたらおもしろい。 私はその頃幼少にして参加していませんが、河川公園での競技会や偶然に横断させた実績はあります。
1965年、嵐山の渡月橋西詰めの公園(「日中不再戦」碑のある△)でLPとR級競技会がありました。私は地球堂の金子友一さんのカッパ号をまねたR級を飛ばしました。このとき桂川を東に越え堤防の向こうの木工場に落ちました。何人かと川を渡った記憶があります。深くないが急流でした。
1970年代に木引杯HLG&LP大会を淀川枚方大橋西詰めの河川公園で続けたことがあります。細長い草地でしたが案外川ポチャはありませんでした。趣味際人さんの理論通りでした。堤防の上昇気流で持ち上げられても押し返されるか堤防の裏側に落ちました。ところが一度東の対岸に渡ったことがあります。その条件はきわめて強い上昇気流でした。手元からもぎ取るようにさらっていきました。高く上がり対岸に姿を消しました。視界没。
1980年代に八幡市が10年間に渡りカラス型飛行器大会を主催したことがあります。初めは淀川、桂川、木津川の三川合流点の公園でした。ここも狭いけど案外に川ポチャは少なかった。それでも何度か対岸のダイハツ京都工場の前の運動公園に向かったのを見ています。大津市のご老人が桂川を泳いだのを見ました。 後半は時代劇でおなじみの流れ橋西側の運動公園でした。ここの主催者は万全で市職員と商工会のおっちゃんたちが木津川の堤防に監視ラインを引いていました。ところがほとんどが堤防の前で落下して川には入らないのです。これも趣味際人さんの理論で納得できます。
ところで淀川横断飛行大会がおこなわれた場所は知りませんが下流であれば河川敷は極めて狭く堤防の際まで広い水面です。私の飛ばしていた多摩川下流なんかとは条件が違います。内山さんも吸い込まれたのでは?
◆2012-1-27 10:28:56 115.177.180.91 田んぼのパンダ − 渡月橋は1955年の間違いです。すみません。
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