◎返事対象記事⇒  長居の大先輩だった木南さんが亡くなられていました(エヌ・エス・エフ)


 
◎ 名前:広島/飯田
◎ 作成日:2015.12.3(木) 09:38

  故・木南さんを偲んで     以前内容以後内容    


                                         広島/飯田

私がフリーフライトにのめり込むきっかけは、まず最初にハンドランチグライダーを教えてくれた土佐先生との出会いから始まります(*現在主流の翼端投げではなく、槍投げ式/野球投げ)。その土佐先生(工芸高校の先生)が、F1Aを志すきっかけを作ってくれたのは、かの木南さんでした。土佐先生は木南さんから譲り受けたF1Aを、穏やかな夕方に長居公園でテストフライトをしている際に、たまたま居合わせたのが、初めてF1Aを見る機会となりました。

サークリング時代前(1970年代中頃)に製作された一発曳航の機体だったと思います。1mm厚位の木目が非常に細かくて綺麗な檜のシートを巻いた檜パイプの後部胴体。前縁上面の一部のみプランクされた、マルチスパー構造で、テーパー無しで翼端を丸く整形した主翼。カンザシはピアノ線ではなく、2mm厚位の楕円で肉抜きされたアルミ板のカンザシ。デサは火縄ではなく、KSBタイマー搭載。索から枝分けしたラインのピンが抜ける事で、タイマースタートとラダーを旋回に切る機構でした。

こんな凄いF1Aを造った人は、どんな人だろう・・と、会った事がないまま1年くらいが経過。

そんな頃、長居公園で穏やかな夕方、R級を飛ばしている人を見かけたのですが、その人こそ、あの木南さんでした。R級は手巻きで性能をセーブして飛ばしても、あっという間に50mは上がっていきます。グライドに入って1旋回位でデサが効き、綺麗に降下。話しかけて初めて話をした時からいきなり威勢よく、しゃべり方が独特で面白い人と言う印象でした。

面白い印象と、造った芸術的(工芸品)飛行機の印象がなかなかマッチしない不思議な人と言う印象です。自分もあんな飛行機が作れたら、、と憧れて頑張ってこれたと思います。その後に知り合ったのが内山さんでした。内山さんも木南さん以上に面白く、飛行機は木南さんと正反対な、、、でした。



◆2015-12-39:53:29 エヌエスエヌ − 「べっちょない」や「品のある飛行機」「品のある飛び方」など「品格」をよく口にされていました  
◆2015-12-39:55:28 エヌエスエヌ − 大親友だった、故/内山さんと一緒に楽しく飛ばしてるでしょう。  
◆2015-12-310:22:45 ai − 何かの折、楠(くすのき)さん?と言ったら、きみなみです。と言われ、冗談?と思いましたが本当でした。

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